私は普通になりたかった。
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はじめまして。
ひつじ田 メイ子です。
新卒2年目、絶賛休職中です。
好きな広告の仕事をしていたのに、ある日電車で気持ち悪くなり、救急車で搬送されました。
精密検査をしても異常無し。
首をかしげつつ、その日は大事を取って休みました
休みの次の日、仕事に行こうとして電車に乗っていたら、呼吸が苦しくなり目の前が真っ白になり、気づくとまた病院でした。
医者に進められるまま、心療内科を受診。
結果は「適応障害」
よくよく考えると思い当たる節はいっぱいあって、自分では大丈夫と思って自分の内側に押し込めてた心のどろどろしたものがこの一件をきっかけに一気に噴き出てしまいました。
「普通になりたい」
それがついこの間まで私の人生の目標でした。
小学校の頃、私は女子のたくさんあるグループに長く在籍した記憶がありません。
特別苛められたことはないけれど、少しグループに在籍すると子どもながらに誰が一番強くて、誰が一番弱いのか分かって、自分の求められる役割は勝手に決まるのだと知りました。
それは集団で生きて行く以上は仕方がなくて、ごくごく「普通」のことで、そこで上手く自分の役割をこなして生きることが社会性を育むための第一歩だったようにも思います。
でも、私は集団の中で求められる役割をこなす嘘つきの自分が大嫌いで、なるべく一人を好みました。
日々の細かいことで誰かを嫌になることはあれど、特定の誰かを強く嫌いだと思ったことはありません。
ただグループの中で嘘を吐いてしか生きられない自分がずっと嫌いでした。
そういう「普通」のことにも、私は小学生の時点でつまづいてしまいました。
黒板の上に掲げられた『みんなともだち』というスローガンが嫌いで仕方ありませんでした。
「人間はみな仲良くしなければいけない。なぜならそれが普通だから」
そうスローガンが私を脅しているように見えました。
小学校は一人で過ごせた時間も、中学からは難しくなりました。
小学校よりも学校で過ごす時間は、濃密になり自分に嘘を吐くことより、集団で浮くことの方が怖いと感じるようになりました。
私は自分に嘘を吐く覚悟を決めました。
小学校の自分とは決別し、周囲の求める「普通」になろうと方針を変えました。
ある友人を可愛いと思わないのに可愛いと言いました。
おもしろくも無い話に手を打って笑いました。
誰かの悪口も言いました。
嫌なことを言われても傷ついてないフリをして流しました。
そういうのが、私の思う「普通」でした。
誰かを自分が傷つけても、自分が誰かに傷つけられても気づかない鈍感に笑えるようになりたかった。
自分は鈍臭くてやぼったくて嘘っぽい人間だと思っていました。
それが周りにばれたくないと思っていました。
周囲の期待に応えられる「普通」の人間にならなければいけない。
社会人になってもそれは変わりませんでした。
それでもなんとか1年が過ぎました。
2年目の夏に転機が来てしまいました。
長くなりそうなので、また。
メイ子