死を考えるのは生きたいから
この記事には商品PRが含まれる場合があります
こんにちは。
睡眠薬飲んだら次の日は口苦いですね。
昨日コメントとスターを付けてくださった方、御覧になっていただいた方ありがとうございました。
生きるってなんなんだろうと布団の中でぼんやり考えていると、大学の頃していたアルバイトのことが浮かんできました。
私は大学時代、葬儀屋さんでアルバイトをしていたことがありました。
就職活動が終わった秋から卒業まで続けました。
周りにはあまり良い顔をされないだろうと思っていたので隠していました。
始めたのは金銭的な理由もありましたが、私の卒業論文のテーマが人間の心と深くかかわるテーマだったので、何かを感じたいという理由もありました。
私のお仕事は、お通夜とお葬式の参列者様のお世話です。
お茶出しや、受付、お席のご案内などが主なお仕事でした。
そうしてお手伝いをしていると、色んな式を目の当たりにします。
私は死んだ時こんなに周りは悲しんでくれるのかな。
もし若くして自分が命を落とした場合家族をこんなにも苦しめてしまうのかな。
いろいろ考えさせられました。
この亡くなった方は、どんな方だったのかな。
どんな人生だったのかな。
このお仕事をして感じたのは、死は日常なんだと思ったことです。
自分の死はどこかおぼろげで非日常みたいです。
お話の中の遠いできごとみたいです。
私は消えたいと思っていても、死と本当に向き合ってはいないと思います。
でもここで働いて、どんな人でもお金持ちでも貧乏でも若くても老いても、みんなどこかのタイミングでは死んでしまう。
だから、月並みかもしれないけれど、毎日後悔が無いように生きないといけないんだと感じました。
ご飯を食べて、眠れていれば、とりあえず生きている。
それすらままならない日もあるのが悔しいけど。
それができるようになったら、何がしたいかな。
私は生きたいんだと思う。まだ、多分、きっと。