理想の私が死んでいく

適応障害で休職→復帰しました。悩みつつ楽しく生きる雑記ブログ。

私にとって広告を作るのは、恋愛みたいだった

この記事には商品PRが含まれる場合があります

いまのタイミングで書くべき内容なのか悩みましたが書きます。

広告業界の新卒社員の方が亡くなられた事件がきっかけで、「長時間労働」が注目され様々な議論されています。

私も今回の事件に対して、広告業界の端っこで働いていて体調も崩したので思うところは確かにありますが、今回は触れません。

 

私は広告が好きです。

仕掛けを考えるのが好きなのかもしれません。

「?」と思わせておいて、後から「!」とびっくりする人を想像するとわくわくします。

プランナーが手がいっぱいで、営業の私にコピーを頼まれた時、嬉しくてお風呂の中でもベットの中でも、短い単語の順序を変えたり、消したり、新しい言葉をつなげたりして、コピーを作りました。

小さな仕事でした。でも楽しかった。

 

たくさん部署異動はあったし、人に好かれなければならない営業の重圧は苦しかったけど、デザインラフを作ってデザイナーとやりとりしたり、コピーを考えたり、ブレストしたり、色校のチェックをしたり、そういうことは好きで好きでしょうがなかった。

脳のストッパーが外れてるのかもしれませんが、考えれば考えるほどもっと良いモノができる気がして、提出のギリギリまで企画を考える仕事には時間をかけました。

自分が最初は想像していなかったくらいドキッとするほど素敵なものができた時の達成感は忘れられません。

街で自分の広告を見かけた時、胸がぎゅ―っとなって、そわそわして、とっても幸せでした。

 

だから、いま時間がたくさんある中、たまにすごく調子が良い時に、転職をする選択肢を含めて何かしたいことを考えても、結局広告の求人を眺めていたりするんです。

それ以外興味のあることが思い浮かばなくて。

 

なら、復職にむけて頑張ればいいじゃんって感じなんですが、何だか現実味が無いんですよね。

前みたいに、働けている自分が想像できないというか。

 

ギリギリで自分を削るような働き方は、体に負担を与えていたのは事実だと思います。

それでも、完成した時の快感は忘れられないんですよね。

 

「ゆるく生きるのも、生きぬくために必要。昔はそういう頑張れない人を馬鹿にしてた。でもそれはひとつの生き方だったよ。辞めてから気づいた」

昨年、新卒1年目で営業職を頑張りすぎて体を壊し、退職のちに異業界の事務職に転職した友人に言われました。事務職がゆるい簡単な仕事だと言っているのではなく、彼女は頑張り屋さんで前職をしている時は見ていてひやひやするほどギリギリで生きていました。だから、辞めたと聞いた時、心底ほっとしました。前職と比べ、いまは少し余裕ができて、自分と相談して頑張りをセーブするのも大事だとその子は思ったと言いました。

 

生きる上で、正しい選択なんてきっと無いんだと思います。

正しさは考えるタイミングによって「正解」にも「不正解」にもなるから。

 

来月、しれっと職場に復職してるかもしれない。

ひょっとしたら天職に出会ってそれが楽しくて仕方が無いのかもしれない。

何にも変わらず、まだ迷っているかも。

 

いまは何にも分かりません。

ただ、広告を作っていた時、私は苦しかったけど幸せだった。

それは、本当のきもちだなあと思うのです。