暗闇で動く白を、祈るように見つめた。
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昨日、記事を投稿し、寝ようかなと思いました。
いま思い出しても、用は無かったはずなの1階に降りました。
特にトイレに行きたいとか、喉が渇いたわけでもなく、ただなんとなく。
虫の知らせだったのかもしれません。
階段を下りると玄関の扉が開け放たれていて、冷たい風が廊下に吹き込んでいました。
ふと、下を見ると、赤。
こっちにも、あっちにも。
赤、赤、赤。
血の水たまりがあちらこちらに。
血の跡を目でたどると、洗面所に血まみれで立っている母がいました。
部屋のあちこち、体中、血が飛び散っていました。
意識はあったので、「どうしたのか」「何があったのか」と尋ねても本人も気が動転しているのか、答えが得られませんでした。
母はあまりにも血まみれなので、最初は血を吐いたのかと思いました。
よくよく観察すると、ケガをしていることに気づきました。
母は「大丈夫。だいじょうぶ」と何度も繰り返しますが、全然大丈夫ではありません。
どう考えても、勝手に止まる傷口ではなかったのです。
「救急車を呼ぶ」と言っても「大げさだと」母に言われました。
寝室ですでに眠っていた父に説得してもらおうと状況を説明しても、深夜だったためか「母が出血している」ことが理解できず、「???」といった様子でした。
弟の元に行っても、すでに眠っていて、私は焦りました。
私は大事になることを嫌がる母を無視して、救急車を呼びました。
本当は救急車を呼ぶレベルではないのかもしれません。
意識も混乱はしていましたが、一応ありました。
でも、呼んでしまいました。
母が何かあったらと思うと、怖くて。
病院では、母は傷口を何針か縫ってもらい処置をしてもらいました。
でも、貧血だったのか疲れだったのか、母は処置後は歩行もままならず、ほんの一瞬ですか意識が飛んだりしました。
お医者さまと相談して、大事をとって入院することにしました。
病室に母を寝かせた時、深夜の3時を過ぎていました。
私はタクシーが捕まらず、病室のソファで横になりました。
疲れているのに、目がさえて眠れません。
何より母が息をしているかが心配で、母に掛けられた白い毛布が静かに上下している様子を見つめていました。
少しでも呼吸音が静かになると、不安でした。
身じろぎをしてくれると、安心しました。
外傷なので、命にかかわるものでもなんでもありません。
それでも、とても不安でした。
10分が、1時間にも2時間にも感じました。
日曜日の深夜だったので、看護師さんもお医者さんも少なく、万が一、母の容態が急変したらどうしようと恐怖と闘っていました。
私は母が何もなく朝を迎えられるように、涙をこらえて祈りました。
うすぼんやりと明るくなった頃、母が目を覚ましました。
私との受け答えも、怪我した直後よりは、ずいぶん良さそうでした。
私は着替えを取りに戻るために、「一回帰るね。またくる」と言いました。
母は申し訳なさそうにしていました。
帰り道、私は安心して少し泣きました。
自分がケガをしたり病気をしたりするのは、もちろん痛いし苦しい。
でも、待つ方もこんなに不安で苦しい。
怖くて長い夜が明けて、朝が来ました。
私は、私の病気と闘わなければいけません。
でも、やはり母も父も、これからきっとケガや病気が増えるのだと思います。
それを支えたい。支えないといけないと思いました。
私は家族のだれも傷ついてほしくないと、強く思いました。
だから、自分を大事にしながら。
でも、進まないといけないと思いました。