理想の私が死んでいく

適応障害で休職→復帰しました。悩みつつ楽しく生きる雑記ブログ。

ポジティブは必ずしも、人を勇気づけるものではない。

私は過去記事を辿ってもらえれば、お分かりの通り、暗くなる時は尋常じゃないくらいネガティブを振りまく人間です。

 

そうかと思えば、馬鹿みたいに明るい日もあります。

 

どっちも本当の私なのです。

これはブログ用の顔というより、自分の心の状態とイコールになるようになるべく書いています。

 

強がってカッコイイことも言いたい時もあるし、話題になってるネタを調べて書いて拡散されてみたい願望がチラつく時もあります。

 

実際、下書きで柄じゃない記事を作ってみる日もあるのですが、全く楽しくないのです。

自分が読んでも、興味が無くて熱のない話題は、嘘っぽくて作り物の文章になるもんなんだなと思います。

そういう時は、「ちょっと勿体ないな」と思いながら、ポイッとゴミ箱に放り込みます。

あー、もったいない…。

 

ここでは色々言える私ですが、現実世界では弱音を吐くのが苦手です。

 

恐る恐る、自分の弱いところをどこまで受け入れてもらえるか、小さな言葉や行動に忍ばせて、試してしまうのです。

 

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ある時、私は心を許した人に、どうにもならない自分の苦しみを吐き出したことがあります。

決死の思いで伝えたのに、一言「なんだそんなことで」と言われ、「明るくなったほうがいいよ」と言われました。「うざい」とも言われました。

その人の聞きたい言葉は、複雑で暗い話ではなく、単純で明るく建設的な言葉だったのでしょう。

 

その人にとっては「そんなこと」でも、私にとっては辛くて仕方のないことでした。

 

常にポジティブに生きられる人なんているでしょうか。

何も考えずに「明るく未来を楽しく生きる」ことができれば、苦労しないんです。

 

そうひねくれて考えるのは、明るく生きるための私の努力が足りないのかもしれません。

でも、私は苦しい時に我慢して笑って生きたくはない。

 

苦しい時に、苦しいと泣きたい。

楽しい時に、楽しいと笑いたい。

 

自分の感情を無理やり捻じ曲げて、「全ての事象を明るく受け止める」必要なんてないと思う。

 

自分の人生において「ポジティブに生きること」を掲げることは、すごく良いことだと思います。

多分周りには明るい人が集まるでしょう。

 

でも、他人に執拗に「ポジティブに生きろ」と強要するのは、一種の暴力だと思います。落ち込んでいる時には特に。

 

「明るさ」「潔白さ」「単純さ」は、誰にもでも分かりやすい正義の言葉です。

「暗さ」「不透明さ」「複雑さ」は、他人を沈んだ気持ちにさせやすい言葉です。

 

「未来にはもっと楽しくて良いことがあるよ」

「もっと君のココをこう変えたらもっと幸せになれるよ」

「何でしんどいのに続けるの?全力で逃げればいいじゃん」

「もっとシンプルに考えなよ」

 

これらは、誹謗中傷ではありません。

善意の言葉です。

 

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それでも私が落ち込んでる側だったら、苦しくなります。

明るさを実行するには、ある程度パワーが必要です。

その体力すらないから、暗い言葉を発することで、心に安らぎが欲しい。

周囲の人には迷惑をかけてるとは、重々承知しながらも、心が悲鳴を上げるから、ガスを吐き出す。

 

誰かが深く暗いところに沈んでたら、私は無理矢理に「明るく楽しい世界」に引き上げる提案はあまりしたくないです。

それを言った瞬間、言われた人は今の自分を否定をされたと思う気がするから。

 

私は沈んでる人のできるだけ近くに行って、話を聴いて「何もできなくてごめんね」って暖かい飲み物を差し出してあげることくらいしかできない。

 

その人がどこかにフラッと消えないように待つだけ。

 

明るい言葉が悪いわけじゃなくて、暗い言葉を扱う時と同じくらい、慎重に扱った方が良いと思うのです。

 

明るい言葉は、人の行動を促す際に使われやすい。

人の背中を押すつもりで言ってくれている、善意の言葉がほとんどだと思う。

 

でも時折、落ち込んでいる人にとっては心に鋭く突き刺さる。

また相手は悪いと思っていないことが多いから、「傷ついた」と訴えることも憚られる。

 

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だから、私はたまに明るい記事を書くのを、躊躇う。

楽しいことや嬉しかった出来事を発信するせいで、誰かを傷つけてはいないかと。

 

それを気にすると、何も書けなくなってしまうから、結局は書いてしまうのだけど。

想像すること自体、自意識過剰で傲慢なことのような気もする。

 

でも、明るい記事を書こうと、暗い記事を書こうと、自分がブログに何かを書いてしまう限り、誰かに少なからず影響を与えることは忘れないでおきたい。

 

では、また。