理想の私が死んでいく

適応障害で休職→復帰しました。悩みつつ楽しく生きる雑記ブログ。

私が病気になっていなかったら。

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病気になったから、今がある。

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もし病気になっていなかったら。

目の前の仕事をこなして、自分の体調不良に首をかしげて、忙しい日々を何とかやり過ごしていたと思う。

病気になんてならない方が良い、それは事実なんだけど。

病気になって休職をしている自分に負い目を感じている時に、大事な人がかけてくれた言葉が私を救ってくれた。

 

「神様がブレーキをかけてくれたんだよ」

 

神様なんて存在しているかは分からないけど、その言葉はストンと私の胸の中に落ちた。

病気だったと気づくことで、神様が「コッチの方に行った方が良いよ」と教えてくれたんだと、今は思うことにした。

 

自分の所属する場所を見つけた安心感

あの上司さえいなければ、私の人生は順調に行ったのかと言われると、それは分からない。

彼に傷つけられもしたし、言われたくないことや、して欲しくないこともされた。

彼も恐らく私を傷つけようとしたわけじゃないと分かるから、どうしようも無く相性が悪かったのだと思う。色々なことが重なった結果として、私は病気になった。

 

休職をした直後、友人ともあまり連絡を取らなくなった時、私は本当にひとりぼっちになった気がした。

社会のどこにも、自分の居場所なんて無いような気がした。

どこかの誰かに、私を必要としてほしくて仕方が無かった。

その気持ちから、はてなにやって来た。所属する場所が欲しかった。

 

他人から勝手にカテゴライズされることは、ひどく不愉快だ。

それなのに、自分がどこにも所属できていないと気づいた時、ひどく焦るのはなぜなんだろうか。

 

休職前、なんとなく体調が悪いので、忙しい合間をぬって病院に何度も通った。

それでも、医者から「異常は無い」と告げられた時の孤独感は、何とも言えない。

一人で原因不明の不調に耐える日々は、診断が下った時より辛かった。

 

診断名が付いたことで、似た境遇の方と出会うことができた。

その時から、色々な人からアドバイスをもらえるようになって、少しずつ体と心との付き合い方を考えられるようになった。苦しみと向き合う仲間ができた。

 

もう一度言うが、病気になんてならない方が良い。

治療にお金はかかるし、やることや食べたいものに制限がかかる。

薬は毎日飲まなければいけないし、職場の人へ負い目が生まれる。

 

でも、もし病気になっていなかったら、まだ別の意味で、辛い道を進んでいて苦しんでいる途中だったかもしれない。

 

現在は数ある未来の中で、ベターな未来だったかもしれない

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過去のタラレバを考える時、「あれさえなければ幸せを掴めていたのかもしれない」という、タラレバを考えることが多い。

 

逃がした魚は大きい、ではないけれど、逃がした幸せは大きかったような気がするから。

でも、別の選択をしていたことで、自分の現在がより悪くなっていた可能性だって、きっとあるのだと思う。数ある未来の中で、いまが最善だった可能性だってある。

 

人生は、ある時点にもどってやり直しができないから、幸せだったかもしれないタラレバをたまに考える。

 

でも、私は最善では無かったかもしれないけれど、ベターな未来をいま生きているのかもしれない、と自分を正当化してとりあえず過ごしている。

 

 

 

今週のお題「私のタラレバ」