小学校の同級生、Aちゃんの話
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どうも、ひつじ田メイ子です。
先日、久しぶりに自分の小学校の前を通りかかりました。
普段の生活圏内から少し離れているので、あまり近寄る機会もありません。
懐かしい気持ちで校門の前を通り過ぎた時、同級生のAちゃんのことを思い出しました。
不思議なもので、一回思い出すと記憶の引き出しが開くのか小学生の頃の色々なことを思い出しました。
怖かったAちゃん
Aちゃんはとても目立つ子で常に周りに人を集めているような子でした。
クラスの中でも、学年の中でも、際立っていました。
目鼻立ちがくっきりしていて美人な子でした。
性格は自由奔放で、言葉遣いが荒く、気にいらないことがあると強い口調で相手を罵ったり、軽い暴力を振るうこともありました。
そういうところが怖くて、私はAちゃんがかなり苦手でした。
グループが違ったのでそれほど関わりは無かったのですが、班分けなどで一緒になると怒らせないかドキドキしていました。
「怖い子だなー、嫌だな」
と思っていました。
優しいAちゃん
Aちゃんは怖い子だ、と私は認識していたのですが、「そうでもないのかもしれない」と思ったきっかけがありました。
芋虫をクラスで飼育して蝶へ孵化させるという授業の時です。
何か月かかける授業なので、みんな順番で掃除をしなければいけないのですが、芋虫の世話は多くの子は嫌がります。(私も嫌でした)
ある時、Aちゃんはいつも自分の番で無い時も、芋虫を気にして掃除をしていることに気づきました。
朝と帰る前、毎日籠の前にAちゃんは芋虫を覗き込んでいました。
私は怖かったのですが、何でそんなに芋虫を世話しているのかが不思議でAちゃんに話かけてみました。
私が「芋虫好きなの?」と聞きました。
「うん」とか「別に」とか返ってくるかと思ったのですが、Aちゃんは一言に「可哀そうだから」と言いました。
それだけだったのですが、このことでAちゃんのことがあまり怖くなくなりました。
その後も、よく見ているとAちゃんはウサギやニワトリなどの人間以外の生き物には、優しく世話していることに気づきました。
でも、人間へのあたりはキツイままでした。
人間は多面的だと知った
暴言を吐いて傍若無人なAちゃんしか私は最初見えていませんでしたが、生きものを優しく世話するAちゃんも偶然見つけることができました。
生きものを世話したから、人間に勝手に振舞っていいかというとまた別の問題です。
でも、この人は100%良い人である、悪い人であるなんて決めることはできないんじゃないか。
このAちゃんのことで、そう感じたことを思い出しました。
人間は一面ではなく多面的な要素を持っていて、相手を判断している面はほんの一部分でしかないかもしれない。
当時はここまで難しくは言葉にできなかったけど、そう思った瞬間でした。
まとめ
ただの思い出話でした。
Aちゃん元気かな。
そんな感じで、またね。