夢を持った新卒が適応障害になるまで④
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『夢を持った新卒が適応障害になるまで』の続きです。
その日は朝からなんとなく体調が優れませんでした。
体がだるい気がしましたが、週末に私が動かしている案件のブランドコンセプトのプレゼンもありましたし、月末には納品物が山ほどあり、サンプルチェックや印刷所との打ち合わせ、その他もろもろ外せないものがたくさんあり、自分の体を気にしてる余裕があまりありませんでした。
いつものごとく通勤電車の中で「涙が出るなあ。へんなの」と思い、会社の最寄り駅で涙を拭くと、会社用の明るい仮面を被りました。
でも、昼を過ぎたあたりから、体が急激に熱くなり頭の回転がいつもより遅くなり「多分熱があるだろうな」とぼんやり思いました。
それでも、働きました。馬鹿ですね。
熱を計ると、余計辛くなると思ったので、ルルを2錠飲んで、ひたすら仕事をしました。
流石に夕方になるとフラフラしてきて、「今日は定時で帰らせてもらおう」と思い自分の仕事に段取りをつけて、帰ろうと準備をしていると「印刷所といまから打ち合わせなんだけど、俺の案件で今後引き継ぎたいから見といて」と上司の鈴木さん言われました。
「何かしんどそうだから、無理ならいいけど」と鈴木さんに言われたので、よっぽど酷い顔だったのかもしれませんが、私は明るく了承して打ち合わせに参加しました。
なぜか妙に頭は冴えていて、印刷所の人とも笑って話していたと思います。
打ち合わせが終わり退社すると、どっと体が重くなり引きずるように駅に向かいました。
電車を待っていると、呼吸が早くなり目の前がぐにゃぐにゃして真直ぐ立っていることが困難になりました。
電車になんとか乗り込み座席に座っても、呼吸はどんどん荒くなり、気持ち悪さは治まりません。
座っているにも関わらず自分の体を支えきれず、私は電車の通路に倒れました。
そこからはぼんやりとしか覚えていませんが、救急車で搬送されました。
熱は38.9度ありました。
病院へ運ばれながら私は泣いていました。道行く人に迷惑をかけてしまったこと。きっと両親を心配させるだろうこと。まだ終わっていない仕事が明日も明後日もたくさんあること。
病院に運ばれても、体に異常は無く、お医者様と少し話をして心療内科をすすめられました。
ひょっとしたら少し疲れているのだろうかというのは自覚していましたが、いまの忙しいタイミングでは絶対心療内科に行けないと思っていました。
その日は、自力で家に帰り、鈴木さんに翌日少し遅れて出勤することを連絡しました。
すると、鈴木さんは「休め」と言いました。
私は休みたくありませんでした。週末のプレゼンの用意は倒れた日の翌日にしておかないと予定上かなり厳しかったのです。でも、私は休んでしまいました。
次の日、私は目を覚まして、全く体が動かず何もできず、欠勤の連絡を入れました。
「今日はゆっくり休め。明日は来いよ」
鈴木さんの「明日は来いよ」が頭の中でこだましました。
体が重すぎて、しんどすぎて翌日動ける自信がありませんでした。
翌日、起きると体は重いままでした。それでもスーツに袖を通し何とか、会社に向かう電車に乗り込みました。
全然進んでいない仕事の山や、鈴木さんや会社の人に迷惑をかけたこと、自分のキャパシティーの無さなど、ネガティブなことばかり頭に浮かびました。
倒れた時と同じように呼吸が荒くなり、涙が止まりませんでした。
電車の中で、だいぶ危ない人物に見えていたと思います。
乗り継ぎの駅に着いたとき、私はまた倒れました。
健康体で今まで生きてきたのに、週に2回も救急車で運ばれることになるとは思いもしませんでした。
もうこの段階では、「ああ、自分は負けたんだな」と思いました。
「すいません。すいません。すいません・・・」
私は倒れてからしばらくして、呼吸が落ち着くとずっと謝っていました。
駅員さんや救急隊員さん、仕事場の人、家族、世の中全ての人に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
迷惑をかけて、ごめんなさい。
期待に答えられなくて、ごめんなさい。
そこから、人事と鈴木さんが病院に来ました。
私が持っている仕事の全てを口頭とメールで鈴木さんに渡しました。
申し訳なくて悔しくて仕方ありませんでした。
私は泣いてしまい鈴木さんの顔はどんな表情をしていたのか思い出せません。
2人から1週間体を休めるように言い渡されました。
私もそうする以外無いように思いました。
この日を境に、私の「理想」は死にました。