【感想】押井守の「友だちはいらない」を読んで思ったことなど。【前編】
この記事には商品PRが含まれる場合があります
突然ですが、友だちはいますか。
そして、友だちの定義とはなんですか。
ご紹介する押井守『友だちはいらない』という本は、「友だちはいいものだ」という固定観念を壊し、人間関係のあり方や友情とはそもそも何を指すのか、などについて対談で深めてく形式の本となっています。
押井守『友だちはいらない』
本著を書かれている、押井守さんとは映画監督を生業としており、『うる星やつら』の映画版や『スカイクロラ』や『攻殻機動隊』の監督を務められています。
この本を読むに至ったきっかけは、私の記事をさかのぼって読んで貰えば分かりますが、小学校の時点で学校から与えられた「みんなともだち」という標語に反感を覚えていたので、「友だちってなんなんだろう」というテーマはずっと考えてきたことだったからです。
「友だちとは何なのか」なんてテーマを家族や恋人以外の周囲にぶつけることは、いま相手と築いている関係性を危うくしよう、もしくは解消しようと私が目論んでいると思われそうで、自分から積極的にぶつけたことはありません。
不思議ではないですか。
友だちって聞く人によって、かなり幅のある定義がなされているように思うのです。
LINEで知り合う。
Twitterで話す。
ご飯に行く。
旅行に行く。
どこから、何をどうすれば、友だちと定義されますか。
私はこの本を手にとっている時点で、一般的な友だちが少ないことへの劣等感みたいなものが無いとは言えません。
私の友だちは、多分、片手か両手で十分に足りるくらいでしょう。
孤独を愛しているわけでも、人間に無礼を働いているわけでもないと思いますが、友だちは多い方ではないです。
友だちが少ないからとても不幸せかというとそうでもありません。
少し寂しいと感じる日もあるけど、困らない日の方が多いです。
世間に蔓延する「友だちがいない」という悩み
最初にも書きましたが友だちの定義とはなんでしょう。
そして、なぜ必要だと思いますか。
著者の押井守の自らの友だちの定義は「イラクで失踪した時に、後先考えずすぐに現地に来てくれる人」だそうです(笑)
なかなかそんな人はいないよなーと思います。
「友だちがいない」ことの悩みを心の中に抱えている人は多い気がします。
私はカテゴリーが消滅した後も、継続して友だち関係を保つことが苦手で、それを悩みとしてきました。
カテゴリーとは、「中学生」「部活」「サークル」「バイト」などの枠組みを指します。そこでできた人間関係を、カテゴリーが終了してからも継続させるのが苦手です。
でもある意味必然で、冷淡に見られそうで怖いですが、言ってしまえば、相互的にその関係が必要がなくなったから、関係が終わっているのだと思います。
ある種どうにもならないことだと思っています。
例えば、大学生でバイトをしている時は、シフトの話、勉強の話、サークルの話など、相互的に共通事項が多いので、お互いに親近感を抱きます。
でも、社会人になった途端、疎遠になってしまうことがよくあります。
両者のライフスタイルが嚙み合わなかったり、仕事によって考え方や金銭感覚にも相違が生まれることも多い。
そうなると、お互い別の生活をする場所のコミュニティができて、バイトでできた関係の優先順位が下がってしまうのは仕方のないことではないでしょうか。
私の友だちの基準はこの辺にあって、カテゴリーが消滅しようとも、1年に2~3回くらいは相手のことを思い出して、連絡を取ったり会う関係が、友だちだと思っています。
カテゴリ内にいる間は、知人もしくは仲間といった感じです。
カテゴリが失われても、必要とする人間関係を私は友だちと思っています。
色々書きたいことはあるけど、うまくまとまらないので。
続きは、また明日。