理想の私が死んでいく

適応障害で休職→復帰しました。悩みつつ楽しく生きる雑記ブログ。

自分の中身を出し続けられる人

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私はSNSもブログもほとんど更新しなくなった。

 

たまにTwitterで思いついた適当なことと過去記事だけ投稿している。

 

自分はなんで発信するのか、よく分かんなくなったのだ。

誰かに伝えたいものが入っていた箱が気づいたら空っぽになっていて、補充されなくなてしまった。

 

ふとネット上で自分のことを発信したり人と交流している姿を見ると「いいなぁ…」と思う。

 

でも、その「いいなぁ…」は自己発信している人に対して超失礼な感情だとも分かっているので、自分が嫌になる。

 

ネットやリアルに限らず、何かを続けられている人や自分の中にあるものを形にし続けられている人はみんな努力家だ。

 

その努力に付随するおいしい部分だけを欲しいと羨ましがるのは、なんだか意地汚いように自分に対して思う。

 

Twitterの投稿画面をなんとなく開いては、言うべきことが無い自分に気づき、スマホの電源を落とすことを毎日繰り返している。

 

なんで自分は前まで発信できていたのにできなくなったのか考えると、面白いものが増えてしまったからなんじゃないかと思う。

 

テレビではTVerAmazonプライムビデオでいつでも面白いドラマや映画が見られるし、YouTubeだってある。

 

すぐに手軽な満足感を得られてしまうと、自分から何かを切り出す作業をしたくなくなる。

 

自分の中から何かを出すことは、面倒くさくて痛い。

 

そんな中、毎日の生活の中にネタが無いか探して、調べて組み立てて、コンテンツを作ってという作業ができる人はすごい。

 

すごすぎ。

 

一時期はそういう人になりたくて、結構気を張って生きていた。

 

店行っても電車に乗ってもネタになることが無いかなーってずっと探してた。

 

でも、ある日パタッと疲れちゃってやめちゃったのだ。

 

友だちでもない、全然知らない人に、自分の中にあるものを出すのって本当に大変だ。

 

それを出し続けようと努力している人は、眩しくてかっこいい。

 

憧れを抱きながら、また動画をぼんやりと私は見ているのだろう。