理想の私が死んでいく

適応障害で休職→復帰しました。悩みつつ楽しく生きる雑記ブログ。

正しさと自由について

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私は自分のことを優しい人間だと20年以上勘違いしていた気がする。

 

ここ数年で自分はそこそこ性格が悪い奴だと自覚するに至った。

 

表面上はヘラヘラしてるように見えるが、競争に勝ちたい精神があるし、人に指図されると思わず反論したくなるし、サッサと物事が片付かないと焦っていたりする。

 

自己評価を「おおらかとか優しい人間」に区分していたが、とんだ間違いだったと思う。

 

自分に対して勝手に厳しくしている分には誰にも迷惑をかけないが、他人にも無意識に自分の価値観が正しいと思っている時があったりして驚く。

そして、気づくたび自己嫌悪する。

 

他人は変えられない。

変えられるのは自分だけ。

 

私が生きる上で、基本の心得はコレだ。

 

なぜなら、私も他人に命令されたからって変えようと思わないし、命令されるのは不快だと思うからだ。

 

私が変わるのは、私のいまの行為が私の今後の人生を脅かすものだと後から知った時だ。

 

相手により良いと思う考えを提案することはあれど、それすらも相手にとっては大きなお世話だと感じているだろうと自覚しながらやるべきだと思っている。

 

自分と他人の境界線を見極められなくなることが私は怖い。

 

私がこれが正しいと思うのだから、あなたも正しいと思うべき。

 

と、ふと考えてしまう時がある。

 

いやいや、ともう1人の自分が突っ込む。

 

自分の正しさが、相手にとっての正しさだとは限らないだろう、と。

 

価値観の共有は素晴らしいと思う。

 

自分の考えがどのようなものなのかシェアしあうことで、見えなかった世界が見えたりするからだ。

 

でも、別に見えたからといって、知ったからといって。

染まらなくても良いはずだ。

 

自分が納得するものを選び続ければいいだけだ。

 

自分はそうありたい。

 

だから、他人にもそうあって欲しいと願う。