理想の私が死んでいく

適応障害で休職→復帰しました。悩みつつ楽しく生きる雑記ブログ。

自分の固定観念に殺される

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「しなければならない」ということにわたしは捕らわれている。

 

お皿を洗い残してはいけない。

洗濯物は溜まる前に洗わなければいけない。

洗濯物は乾いたらすぐ畳まなければいけない。

仕事は全力を尽くさなければいけない。

雑事は忘れることなく効率的にこなさなければいけない。

 

別に誰に責められるわけでもないけれど、「しなければならない」と思ったことが上手く運ばないと憂鬱になりパニックになる。

 

別に上にあげたどれも、多少サボったからといってものすごくやばいことが直ちに起きるとわけではない。

 

本来は自分のできるペースで処理すればいいだけだ。

 

最低限でやればいいのに、常に自分のできる範囲の平均以上クオリティを求めるところが精神的に自分を追い詰める原因だ。

 

なんでこんなに固定観念が強いんだろう、と考えたときに家族のあり方が思い浮かぶ。

 

私は成人するまで家の空気を伺って生きてきた。

父の機嫌を損ねないようにそれなりに学業や家の手伝いをし真面目に生き、父の仕事に尊敬の念を表した。

一方、母と父がぶつからないように、時に緩衝材になりつつ、母の愚痴も聞き、母の手伝いを自分からした。

完璧な子供だったとは言えないが、自分を無意識に抑えていたのかほとんど感情を爆発させたり、反抗したことはほとんどない。

 

いまは結婚し、穏やかな夫と生きている。

夫は私を理不尽に責めたりコントロールしようとしない。

私が何もできないからと言って怒ったり決してしない。

 

にもかかわらず、今も自分が少しでも怠けようとすると私は私を許さない。

 

長年の癖が染み付いてしまっているのだ。

 

洗濯物を仕舞わないと突然キレられるかもしれないという父への恐怖。

 

仕事帰り家族の食事を作った後、疲れた様子で食器を1人洗う母の背中。

 

そういう言葉ではない家の重い空気を読み、出来るだけ家庭内が円滑に回るように努力し続けてきた。

 

その経験が脳裏をかすめるのか、サボるのが苦手で、怖い。

 

早くやらなければ、とドキドキする。

 

リラックスできるようになりたい。