理想の私が死んでいく

適応障害で休職→復帰しました。悩みつつ楽しく生きる雑記ブログ。

夢を持った新卒が適応障害になるまで①

こんばんは。ひつじ田メイ子です。

私の地域は少し冷え込んできました。

 

ぽつぽつ適応障害になってしまったことを書こうかな。

しんどくなったら、途中でやめてお布団の巣穴にもどります。

 

転機は今年の夏でした。入社2年目にしてもうすでに何回目か分からない部署異動。

そして初めての一人暮らし。

 

私は広告の会社に勤めています。

昔からなりたかった仕事というわけではありませんでしたが、今まで好きだったことの共通点が「表現すること」と「言葉を扱うこと」でした。

だから、内定が決まった時とっても嬉しかったことを覚えています。

 

入社の日に私は職場のあいさつで宣言しました。

「この会社に新しい風を吹き込める存在になります」と。

あの時、職場の人は私のあいさつをどんな気持ちで受け止めていたのでしょうか。

 

私は入社後すぐに社会人の洗礼を受けました。

 

募集要項には記載されていなかった、裁量労働制の存在と改善される兆しの見えない残業の嵐。

OJTとは名ばかりの部署のたらい回しで、指示を仰げる上司はいなくて、仕事をもらいに行っても困った顔をされるばかり。

職場にいる人みんなが大事な何かを諦めてそこで「作業」をしているのだというような空気をひしひし感じました。

 人が集まると、夢ではなく愚痴になり、誰かへの不満で話題は持ちきりでした。

 

私の会社では淀んだその空気が「普通」でした。

 

「なにかがおかしい」と私は思いました。だってだれも幸せそうじゃない。

 

私には理想がありました。

 

ドラマに出てくるみたいなおしゃれなオフィスカジュアルのお洋服を着て通勤して、面白いアイデアを出してみんなで仕事を成功させたいというような理想。

母が独身時代、大手企業でマーケティングの仕事をしていてバリキャリだったという話を聞いていたので、心のどこかで追い付きたいというのもあったように思います。

 

営業としての仕事を聞いてもなかなか教えてもらえず、会社都合で担当部署と上司が頻繁に変えられる中、理想と現実にもがきながら1年を過ごしました。

この1年で上司は6人変わりました。

頻繁に部署異動をしすぎて教える間もなかったのかもしれません。

私に「作業」ではなくて「仕事」を教えてくれる人はいませんでした。

担当部署が変わる度に過去資料を自分で探しだし、予測し、自己流で動いていました。

でもそれは会社の一銭にもなっていない行為だったようにも思います。

商談もまともに教えてもらった記憶もありません。

つまり1年経っても、私は作業をするだけで会社にとってほとんど成長したことや頑張れたと胸を張って言える仕事がなんにも無かったのです。

 

正直焦っていました。

同期は一つの部署でどんどん深い「仕事」をしていくのに、私は部署異動をし過ぎて、自分だけずっとスタート地点にいるみたいでした。

 

上司や環境も悪いと思いましたが、そう思ってしまう自分に自己嫌悪をいつもしていました。

 

努力不足なんだ、もっと頑張らないと。

そう自分を奮い立たせました。

 

ちょっと疲れたので、今日はこのへんで。

 

今日は初めて私の記事を読んでくれた方がいたみたいでとても幸せでした。

 

ひつじ田メイ子

 

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